1月末にスマホを水没させてしまい、何かと不便な2週間くらいでした。会社ケータイがあるので、仕事は不便ないですし、友達もいないので………この話やめますね。
という事でやっと適当な端末を入手できたので、ブログも再開です。
新しい端末は、アキバで適当なものを20,000円くらいで調達。スマホも安くなりましたね。ちょっと昔は20,000円のスマホといえば、ボロボロのクソスペスマホしか買えませんでしたからね。もっと昔、スマホが普及してきた当時なんて、5~7万の端末を2年かけて分割で支払っていましたからね。
そう考えるといい時代になりましたね。
はい。
という事で、お正月期間に見たアニメの話。
1月中に書いておきたかったのですが、2月になってしまいました。
お正月は、大掃除に勤しんでいました。掃除しながらアニメを垂れ流しするのが私の流儀。
いろいろ見ていたのですが、その中で1つ語ろうと思うのが、「異世界はスマートフォンとともに。」というアニメ。
スマホは水没する前に見たアニメです。別にスマホネタつながりではないです。
キッカケは、ネットで酷評されていた記事がふと目に入ったから。
私はそういう酷評されるアニメが、「なんでそこまで酷評されるのだろう」と考えるのが好きだったりします。
業界にいた方や評論家、コアなアニメファンの方達のように何本も見ている訳では無いですから、様々なアニメと比較したり詳しく語ったりは出来ませんけど。
評価が荒れている作品をその評価を読んでから見るとまた面白く感じます。
暇がある方はこの記事を読んで、少しでも作品に興味を持って貰えたらなぁと思います。
あと、自分が忘れないように……………
というのも、これ途中まで見て思い出したんですけど、当時テレビで見ていた作品でした。
一度見たことのある作品を途中まで気が付かずに見ていたという事象が起きてしまった。
その自分の記憶力の無さにショックを受けました。というか、一回ブログで感想を書いていないか見直したくらいです。
………………やっぱり、自分の記憶力の無さは認めたくないので、それくらい内容が無いアニメだったという事にしておきましょう。
改めて見てみてもやっぱり記憶に残らない。
ネットで酷評されるのもよく分かる作品です。
でも、私はこういう「頭空っぽにして見れる」という作品が意外と好きなのです。
という事で、せっかく見たので少し感想を書いておきます。
もう一度見たくないしね。
どんなアニメなの?って話&「なろう系」について少し語る
この、「異世界はスマートフォンとともに」という作品は、2017年の作品です。
アニメ自体は12話構成で、1期しかありません。2022年1月時点では2期は出ていません。
話自体は一話の中で起承転結まで終わるので、気軽に見ることができます。
内容については、もうすでに語りつくされているので、概要だけ。
あらすじ太郎
特に事故の描写は無くて、神様の手違いで死んでしまった主人公。
お話は神様と対談する場面から始まります。
↑神様と、主人公ことスマホ太郎。
※スマホ太郎とは
スマホ太郎とは、主人公の名前すら記憶に残らないほど何も無かった作品ということで、タイトルの「スマホ」と日本人男性の名前の代名詞である「太郎」を組み合わせて「スマホ太郎」と名付けられた。もちろんファンによる命名で作品自体で呼ばれているものでは無い。
たしかに、自分ももう主人公の名前を憶えていない。それどころか登場人物の名前を誰も覚えていない。
というとで、あらすじとしては、神様いわく手違いで死なせてしまったのは申し訳ないが、元の世界に生き返らせる事は出来ない。違う世界ならオッケー。
こちら(神様)の手違いで死なせてしまった訳で、そのまま転生というのも可愛そうだから、すごい力を授けてその違う世界で生き返らせてあげる。ということで、スマホ太郎はそれを受け入れます。
あと、何か欲しいものは?と神様に聞かれると、異世界にスマートフォンを持っていきたいとスマホ太郎はお願いします。
ということで、剣と魔法の異世界で、スマートフォンを手にして、主人公に降り掛かってくる問題を解決しながら、旅をする。
という感じ。
内容については、流行りの「なろう系」アニメになります。
なろうってなん太郎?
↑なろうオブなろう
なろう系アニメの定義は様々語られていますが、私のイメージを語ります。
現代日本で事故とか自殺とか、何か報われない形で死亡→
可哀そうに思った神様がすごい力を授けて異世界に転生させる→
すごい力で世界を救ったりしてチヤホヤされる
だいたいそんな感じかなと思います。
一応、wikipediaにもそのようなページがありましたのでリンク貼っておきます。
↑なろう系
私が多感だった時期には、「ゼロの使い魔」というライトノベル・アニメが流行りました。それも転生系ではあるのですが、現代の「なろう系」とは少し違います。
ゼロの使い魔はアニメでも4期くらいはやったのかな。かなり人気の高いオタクの代名詞のようなアニメでした。
あの有名なコピペもゼロの使い魔から。
↑あの有名なコピペ(ルイズコピペ)
↑通称ゼロ使。私はシエスタ派でしたがルイズの方が人気だったのかな。
ゼロの使い魔が放映されていたのが2006年頃です。
当時から異世界に転生して…という話はよくありますし、今も人気のジャンルです。
なろう系というのは、ただの異世界転生ものとまた少し違うように感じます。
「主人公の努力」というもの。
ゼロの使い魔は、まだ主人公が「鍛錬して強くなってやろう!」という気概を感じましたし、知恵を絞って「なんとか問題を解決してやろう!」という、主人公の努力が見えました。
強くなったとしても、それを上回る問題が発生したり、自分の力だけではどうにも出来ない問題に対してどのように解決していくのかワクワクする展開がありました。
対して、最近の異世界転生もの通称「なろう系」は、多少語弊があるかもしれませんが、強大な力を持って転生する…というのはつまりその転生先で努力を何もしなくても良いってわけです。だって最初からなんでも出来ちゃうんだから。
剣や魔法の世界に転生してもそれらの訓練を詰まなくても即戦力、しかもその腕は世界最高。
その力で世界を救ったりして、みんなに褒められ、何も努力しなくても苦労なく生きていけて、廻りはかわいい女の子ばかりでモテモテ。
最近のなろう系の作品そんな感じです。ただ現世に居たままの力でそのまま異世界転生して泥臭く生きていく作品は「なろう系」とはまた違う気がします。
なぜ、このような作品がいきなり頭角を現してきたのでしょうか。
その原因は、大きく分けて2つあると考えていて……
①自分の理想の世界を手軽に皆と共有出来るようになったから。(書き手の話)
②社会に疲れた人が多くなってきたから。(読み手の話)
この作品はもともとweb小説投稿サイトの「小説家になろう」にて投稿された作品でした。この「小説家になろう」というサイトは個人がPCやスマホで小説が投稿できるという事で、自らが書いた小説が簡単に多くの読み手の方々に発信できる時代になりました。
かつて、自分が書いた小説を発信する手段としては、ブログにするか、出版社に持ち込んで採用してもらうか、同人誌にして同人即売会で売りさばくか…くらいでした。
中でも個人で書かれている方は、ブログでの公開が一般的で一番簡易的に発信できる方法でした。ピクシブやニコニコの小説公開のシステムもあったかな。ただ、結局は画像・動画投稿がメインでそのついでみたいなシステムだったと思います。私自身使ったことはありませんが。
私も昔は個人ブログの二次創作を読んでいた時期もありました。そう、多感な頃にね。当時は「好きなアニメ名称 SS ブログ」なんかで検索すると結構出てきた記憶があります。SSとはショートストーリーの意味。オリジナルのものも多くあるのですが、15年くらい前は二次創作物が多かったです。いわゆる同人作品ってやつです。そういうのって知ってる人でないと行きつかないし、そもそも検索しないと出てこないし、検索エンジンも微妙でなかなか出てこないし、まとめブログなんてのも無かったし。
個人ブログですと、なかなか一般ユーザーには届きにくいです。今ほど検索エンジンも頭良くなかったですし。という事で、自由に小説を書いたり読めたりするサイトを作ろうという事で作られたのが「小説家になろう」でした。
10年ほど前からこの「小説家になろう」というサイトに登録されたものの中からライトノベルとして発売したり、アニメ化したりする流れがよくありました。
このサイト、結構人気らしいです。作品投稿をする側にとっても様々なユーザーに自分の作品を簡単に届けられるメリットがあるし、読み手にとってもジャンル毎に分けられていたり、作品数(投稿数)も多く自分の好きな作品、作者を見つけることができる。
かもしれない。
ブログに書くよりたくさんの人が見つけてくれる。というのもあるでしょうが、なにより、書き手側にとっては、スマホやPCで簡単に小説が書けるというお手軽さが良いのでしょう。
作者は出版社に売り込んで、金にするのが主目的ではない。あわよくば自分の作品がバズって大賞とか取ってラノベ化・アニメ化…なんて夢が無いわけではないけれど、最初はやはり自分で考えた世界やストーリーを皆に読んでもらいたいという純粋な気持ちでしょう。本気でその物語を金にしたければ、自分のオリジナル作品を無料で公開はしないでしょ。
そう、"気軽に"自分の考えたストーリーを公開できるという事は、流石に商業用として推敲に推敲を重ねて発売されたライトノベルと比べると、個人で書いているわけだから内容に粗さは残るわけである。それがまた面白いというのもあるのでしょうけどね。
↑あの有名な奴。通称キンキンキッズとかキンキン太郎と呼ばれている。
※無職の英雄 別にスキルなんか要らなかったんだが より
これも「小説家になろう」からライトノベルとして発売に至った、いわゆるなろう系の作品なわけなんですが…
「素人の書いた文書かよ」というレビューがあったけれど、その通りなんじゃないかと思うわけです。
何をもってプロとするか…というのは難しい話ですが、「小説家になろう」に投稿する時点で最初は個人が趣味で書いた文書だと思うわけですよ。
プロ志向であれば、出版社に持ち込んだり、○○賞を目指して書くのではないですか?
それとも、「小説家になろう」ってプロ志向の方も書いていたりするんですか?
だけど、キンキン太郎がプロじゃないから悪いと言っているわけではなくて、書きたいものを書いたからこうなったのだと思います。
作者は、剣どうしがぶつかり合う擬音を「キンキン」と表現したわけですが、これ私の考えなんですけど、そのチャンバラシーンを文字で伝える表現がそれしか思い浮かばなかったのだと思います。というか、深いこと考えず勢いで書いて、これでいっかぁ!って感じではないでしょうか。
いや、それとも「この表現はバズる!」と、キンキンを狙ってやっていたのだとしたら、それはそれで成功か。
↑きんきんは美味なのだ。一夜干しめっちゃ好き。
チャンバラシーンを擬音だけ表現するのは新しいかもしれない。かなりアニメ的表現ですよね。アニメをそのまま文書にするとそうなるのかもしれない。
妄想するときって、文書じゃなくて2次元にしろ3次元にしろ動きがあるじゃないですか?つまり、それをそのまま文書化すると、チャンバラシーンは「キンキン」になるわけです。
「小説家になろう」って一般の方が小説を書いて公開して、皆に読んでもらいたいという願望をかなえたい場所であるので、書き手は当初は売る目的ではなくて、書いていて気持ちのいい作品を書きたいですよね。
妄想って気持ちよくなりたいですよね。こんなことあったらいいなとか。そういう願望が妄想する原動力です。
作者の妄想の中では、キンキン太郎のあのシーンは、凄い体術で敵の攻撃を避けたり、弾いたりしているわけでしょう。
まず、それを文書化するのは難しいし、事細かに説明すれば、冗長化してしまいます。
逆に、敵や自分の、呼吸、緊張感、そんを事を細かく妄想ではしなから、そこは表現できないわけです。
妄想って勢いが大事なのでね。
細かい表現しない×文書化する能力不足
そして、その勢いを大事にしたままチャンバラシーンを文章にすると、「キンキン」になるわけです。
↑つまり、こういうわけ。
先ほどの続きで、妄想を文書なりの形にするというのは、複雑な人間ドラマや駆け引き、熟考された世界感等は不要であり、なにより勢いが必要になります。
いいアイデアとか思いついたら、そのアイデアの実現性や可能性を考えるより、メモしたり、人に言いたくなるでしょ?そういうことですよ。
例えば、昔、学校テロを妄想した人も多いかと思います。
学校にテロリスト(妄想) - アニヲタWiki(仮) - atwiki(アットウィキ)
↑学校にテロリスト(妄想)
学校にテロリストが攻め込んできて、自分がみんなを救い、テロリストを駆逐、全滅させるなどの大活躍をしてみんなに褒められ・女の子には惚れられ、自分を虐めていた奴等からは畏怖の眼差しで見られるようになるという………
そんな自尊心を満たすことができる手っ取り早い妄想である。多感なクソ陰キャオタク男子高校生が経験する妄想のひとつである。
これは、今となって考えると、なろう系の走りではないだろうか。
↑誰かから聞いた訳でも無いのにみんなこの妄想してるよね。これ、勢いで書いてて気持ちいいように文書化したら、ドカーン!パァン!パァン!という擬音だらけになるでしょ?難しい言い回しなんて考えてたら気持ちよく書けないですからね。
この、学校テロの妄想などにも言える訳ですが………
物語の主人公はもちろん自分を投影してしまうわけです。
だから、主人公は死なないし、あまり努力しません。
だって自分だから。
だけど強いです。モテます。そうじゃないと楽しくないじゃないですか。
妄想なのに、一緒に出てきたクラスメイトが大活躍してるのをただ自分が眺めているだけの妄想ってそれほどクソな妄想はなくないですか。何が楽しいんですかそれ。
やっぱり自分が大活躍してモテてナンボっすよ。
努力はしてないけど。
そう、主人公は努力しないのだ。努力するのは面倒だし辛いじゃないですか。
辛いストーリーっていやです。
↑現実でも辛いのに、なんで妄想でも辛い思いをしなければならんのやと。
少しでも逃げたい…辛い事から逃げたい…
その気持ちは、読み手も同じなのである。
私含めてその通りなのですが、社会に出ると嫌なことばっかじゃないですか。
楽しく読む小説の世界だけでも、何も考えなくても努力もしなくてもチヤホヤされる世界であってほしいと思うわけです。
なんか辛い事があったときに人間失格なんて呼んでも気持ちは落ち込むだけでしょう?
↑太宰治 自殺未遂&ヤク中のメンヘラ作品読んでも気分は良くならんのよ。
だから、気持ちの落ち込んでいる現代日本人は、読んでて気持ちが楽になる作品を無意識の内に求められているのではないでしょうか。
何も考えなくていい小説をただ、もうぼーっと読んで楽しい瞬間は確かにある。
それは、小説としてどうなのかと疑問は残りますが、別にそれでいいのだと思う。
その気持ちは、書き手も同じなのである。
書いていて辛くなるお話を書き続けたくは無いじゃないですか。もちろんそういう世界観が好きだという方も多くいますが、一般受けするのは鬱なストーリーより、皆がハッピーになるストーリーの方がする気がします。
↑皆がハッピーになるストーリーの方が面白いよね。※他意は無いです。
その気持ちは、読み手も同じなのである。
以下、無限ループ。
そう、なろう系作品は、「癒し」とか「楽さ」を求める現代日本人にとっては需要と供給が成り立っているwin-winの作品であったのだ。と、思う。
インターネッツで語られている諸問題についてか太郎(語ろう)
私がこのアニメを見るキッカケにもなった通り、このアニメはもう2017年の作品であり、何年も前の作品ですし、すでに語りつくされています。その中でも流石の私でもこれは…と思ったのをピックアップします。
緊張感が全くないストーリー展開問題
これは、ネットで語られている通り、まったく緊張感はないですね。
これから、主人公はどうなってしまうのだろう?ヒロインの誰を選ぶのだろう?とか、ストーリーがまったく気にならないんですよね。
↑スマホ太郎と嫁達。
そう、この世界は一夫多妻制なのだ。みんなと結ばれることができる。
でも、そんなセリフがあっただけで、実際に一夫多妻制であるような描写はない。
ヒロイン、全員俺の嫁。
また僕、女オトしちゃいました?
ラブコメとしても不十分。
あとは、物語の構成的に1話の中で起承転結してしまうので、とりわけヤバい問題が起こらないというのもあります。
例えば世界滅亡とか世界大戦とか、それを止めるために何話も使って進めていくアニメではないですから、ほのぼの異世界転生ライフといえばそれまでですけどね。そういうアニメなんだから良いと思いますが、これまで見てきた中身の無いアニメの中でもこのアニメはトップクラスに中身が無いなぁと思いました。
スマホ太郎のスマホ離れ問題
このアニメ、「異世界はスマートフォンとともに。」という題名なのですが、スマートフォンはあまり使いません。
↑この物語のカギとなる………わけではなかった。
これ、題名的には異世界でも使えるスマートフォンで検索したりして、現代の知識を使ってほのぼのライフを営むか、それとも攻略本代わりなって世界を救ったり、それとも魔法発動のトリガーになったり、現世と連絡を取りながら戻る方法を模索したりとか…なんかそんなイメージあるじゃないですか。
しかしながら、このアニメではそのような使い方をされるなんてことはなく………
↑料理のレシピを検索したり
↑マップ見たり
↑たまに神様から電話があったり
↑盗撮したり
その程度。
基本的には、神様から授けらえた主人公のなんでもありのスーパー魔法パワーで何とかします。ワープ、クラフト考えるだけでなんでもアリです。スマホの力ではありません。
あくまでスマホはオマケってコト!?
原作小説を読んでないから分からないんですが、もし原作も物語から主人公のスマホ離れが進んでいたとしたならば、作者がスマホを使ってあれこれ解決するアイデアが枯渇してしまった。またはそういう解決方法を考えるのが面倒くさくなったのかなと思いました。
これは、わかりますよ。最初は、「凄いことを思いついた!」とそのテーマを軸に進めようとするのですが、段々とネタが無くなってきたり、書いているうちに自分のアイデアの陳腐さに気付いてきたりしてしまう。だけど今更後戻りできないから、そのアイデアを少しだけ使った既存のやり方にするんですよ。
私の改善レポートと同じです。
「こりゃダメだ!」と心の中に少しでも浮かんでしまった瞬間どうでもよくなるんですけど、だからといってやりきらないといけないから、手を抜いてしまうんですよ。
今回もそう。作者が飽きたり、スマホを使ったネタが思い浮かばなくなると、こうなるんですよ。たぶん。
スリップ太郎アンドなんでもアリ太郎問題
アニメをサラッと見ていると、敵を倒すのはだいたいスリップで完結しています。
↑ほらスリップとな
その他、色々な敵をスリップで倒していきます。
強すぎる技があってワンパターンで敵が倒せるクソゲーをプレイしてる気持ちでしょうか。
虚無感すら感じる戦闘シーン…というか、ずっこけぱなしのギャグシーンかな。
スリップでハメて倒すハメ太郎だった。
そして、なんでもアリ太郎問題。
↑まるで将棋みたいな攻略法だな(遠い目で)
普通の人が苦労して倒す敵を何百、何千と一瞬で倒します。
↑なんでもアリ太郎やん
その様はスパロボのマップ攻撃。
↑ほんともうこの感想しか思い浮かばない。
主人公がさらっと敵を圧倒→しゅごい!スマホ太郎様!!→あれ、また僕凄いことをやっちゃいました?
このパターンしか勝たん。
自分でやるんだったら楽しいんだろうけどさ、人がこれやってるの見て、楽しいか?マジで。
感想など
まるで将棋みたいなアニメだな…
このコメントすこ
感想なんて何もない。
なんか、見ているだけで、ため息が出てきます。
「まーたこのパターンか…」って感じでしょうか。
ここまで虚無感が強いのはなぜでしょうか。
ネットの評判を事前に見てから視聴してみたのですが、「あぁ、これがあの有名なシーンか!!」ともならず、「あぁ…」で終わってしまいました。
ストーリーに関しても、もう何も記憶に残っていません。
↑アニメの評判も大スリップ状態やんね。
就活の会社説明会の後の「何か質問はありますか?」と聞かれた時くらい、言葉が何も見当たらないので、今回はこのくらいにしておきます。