雨が続きますね。
外でザーザーと降っている様子をみるとなんとなくブルーな気持ちになってしまいます。
あと、夏っぽくなってきたっていうのもあるのかな。
そんなとき、ふと思い出してしまう子供の頃の自分。
というのも、私は実家住まいの典型的な"こどおじ"部屋なので、特にそう思ってしまうのでしょうか。
周りに子供の頃遊んでいたオモチャなどが散乱してるので。
小学生…アラサー世代だと約20年前ですか。
2000年ごろの話。
その頃はまだスマホもありませんでしたし、ネットも今ほど普及しているとは言い難い状況でした。一家に一台パソコンなんてありませんでした。
うちにはwindows98が入ったIBMのパソコンがあった記憶があります。
↑確かIBMのアプティヴァ
学校はwindows95でしたが、小学3年生かそのくらいの時期に、windows2000がインストールされた新しいパソコンが入ってきた記憶があります。
それで、一人でおもしろフラッシュ倉庫とか見てました。当時はそれを見て、ちょっとアングラ感があってワクワクしたものです。
当時はパソコンやインターネットに興味がある小学生なんて珍しい方だったんですね。
休み時間とかも基本私しかパソコン室に居ませんでした。
まぁフラッシュ倉庫自体は大人になった今見てもくだらなくて面白いんですけどね。
↑千葉滋賀佐賀が好きだった
ゲーム機は、PS1派でしたけど、周りの皆はセガサターン………に夢中な人はおらず、64とかゲームキューブが一般的でした。
ウチにもあったのですが、プレステばかりやってました。
やはり車が好きでしたのでグランツーリスモの1と2、R4、RAGE RACER、Vラリー2、ランナバウトなどをひたすらプレイしていました。
↑R4(リッジレーサー4)は今やっても楽しい。
たまにやりたくなる。
オシャレな音楽は印象的で、今でも通勤しているときにたまに聴いている。
これは本当に音楽、グラフィック、世界観に小学生ながら惹かれるものがありました。
↑RAGE RACER(レイジレーサー)はリッジレーサーシリーズの3作目にあたる。
メーカーを分けたりなど、R4になる前の片鱗が伺える。
ブックオフに350円くらいで売ってたやつ。
グナーデが好きだったが、R4では削除されていた。
↑グナーデ エスペランザ
この羊の革を被った狼みたいなのが好きだった。
個人的に衝撃を受けたのは、上記のR4もそうなんですけど、ランナバウト。
↑私はこのパッケージだった。
街を爆走しながらブツを回収して目的地に届けるというだけのゲームなんですが、これが非常に楽しい。街を破壊しながら結構自由に走れるという箱庭的要素もありました。
今でも大好きなシリーズです。
いつかその話もしたいです。
任天堂のゲームは、ゼルダの伝説時のオカリナ、ムジュラの仮面、スーパーマリオ64、スマブラ64などの王道を貫いたラインナップは一通りプレイ。
↑結局当時はクリアまで行き着かなかった………
昔から友達が少なかったので、スマブラも呼ばれたこと無かった。
マリオパーティはやったことない。一人でやっても仕方ないから買わなかったのだ。
友達の家でやった記憶もない。
また、64でもレースゲームはもちろんプレイしました。マリオカート64はもちろん、エアロゲイジ、トップギアラリー2、トップギアオーバードライブとか。
↑エアロゲイジ覚えてる人居る?
やっぱF-ZEROよりエアロゲイジなんだよなぁとこの歳になるとしみじみ思う。
これは良かった。確かにF-ZEROと比べたら見劣りするかもしれないけれど、それはそれで楽しいのだ。
ステージもアジアが舞台になっていて、怪しい漢字の看板が並んでる中を走り抜けたりなどワクワクした。
ただ、難しい。CPU戦で勝てなくてイライラするやつ。いや、ホント。
↑あとはトップギアオーバードライブが楽しかった。これは本当に遊びまくった。
こんどやってみようかな………レビューとか無いしウケるかな。
小学3年生か4年生になると、プレステ2が発売されました。2000年頃の話です。
そして、2001年にはゲームキューブが発売。
という葛藤の末、お年玉でゲームキューブを買いました。
↑色はシルバー。バイオレットとかオレンジとか誰が欲しがるの?って思ってた。
シルバーのゲームキューブは、当時はイチローが宣伝していました。よく記憶に残っています。
ゲームキューブは、ゲーム屋さんのスーパーマリオサンシャインのデモ映像を見て、これだ!!と思って購入。
お年玉を使うのは許可制だったので、これは本当に親に頼み込んだ。
↑当時はグラフィックの綺麗さに驚いた。今やってみるとボケボケだけど、あの当時の感動は今でも忘れない。
南国の街という世界観が綺麗なグラフィックにマッチして映えていたし、何より水の表現が良かった。
水をぶっかけて、汚れた街が綺麗になっていく様は爽快だった。
ロケットノズルを使って大ジャンプしたり、ターボノズルを使ってダッシュしまくったりなどのアクションが、どれも素晴らしかった。
結局最後までクリア出来なかったんだけどね。(大学生の時に引っ張り出してやってみたけどやっぱりクリア出来なかった)
ゲームキューブは、マリオカートダブルダッシュとかスマブラDX、ゼルダの伝説風のタクト、カービィのエアライド、どうぶつの森など。
↑やっぱりスマブラよな。
スマブラは現代のスマブラSPの基礎になった感がありますよね。
私が最後にやったスマブラです。
これも悲しい思い出です。
学校の誰かとやりたくて買ったんですけど、結局誰も家に呼ぶことなく終了。
強くなっても意味がなかった。
任天堂のゲームは、基本友達が居ないと楽しくないんだな。
そう思いました。
なので、wiiもwiiuもswitchも持っていませんし、買いませんでした。(今はオンラインとか発達してるしそんなこともないと思いますが)
そこで、私はコミュニケーションをゲーム内に求めるようになりました。
今めちゃくちゃ流行ってます。私も結構やりましたけど、意外と面白いですよね。母と姉も当時プレイしていました。
本当はもっともっとやりたいゲームはあった。ピクミンとか動物番長とかギフトとかルイージマンションとかバテンカイトスとかメトロイドとか。
でも、今考えると私の家庭はいろいろ買ってくれた方なのかなと思います。
ゲームボーイアドバンスも持っていたし。
まぁいろいろなゲームに触れさせてもらった親に感謝ですね。
「ビデオゲーム」という「文化」を消化していたんだ。
今のスマホゲーはどうかと思うけどね。脳死でただタッチするだけのゲーム。
あれは文化とは言えないと思う。ただ金稼ぎの道具ですよ。製作者の熱意とかそういうのが伝わってこない。終わったときの喪失感が無い。
本当にいいゲームっていうのはエンディングを見るとちょっと悲しい気持ちになったりする。もう終わりなのかって。胸にポッカリ穴が空いてしまったような感覚になる。まぁ一瞬だけなんだけどさ。
それがたとえどんなに短いゲームでもね。
そんなこんなもあり、ゲームキューブ時代終了。
プレステ2は、実際に手にしたのは小学5年生の頃の話。
2003年の末に、グランツーリスモ4prologueが同梱されたセラミックホワイトのPS2が発売されました。
↑これこれ。パールホワイトじゃなくて、セラミックホワイト。つや消しの白。
これを誕生日に買ってもらいましたね。
でも、当時はprologue版だけだとボリューム不足でつまらなかったんですよね。なので、あまりプレステ2を買ってもらったすぐはプレイしませんでした。
それに中学受験もあったので、あんまりやりませんでした。
一番思い出深いのはドラゴンボールZシリーズ。格闘ゲームですね。
↑特にZ2はめちゃくちゃやった。
フュージョンとかポタラ合体とか、このゲームにしか出てこないものもあって、楽しかった。
ヤムチャ×天津飯でヤムハンとか、悟空×ミスターサタンでゴタンとか。
↑ゴタン………他に出演してるのか?
ドラゴンボールが当時好きで、フィギュアとか集めてました。
鉛筆の先っぽに付けるフィギュアみたいなのありましたよね。
↑これこれ。
これ集めてました。
基本は食玩系のやつ集めていました。
昔は今ほど高精度なフィギュアなんてありませんでしたから。
あと、小学生の頃から自転車は好きでしたね。
近所の公園でサイクリングロード外れて木の根っことかを超えながら遊んでました。
あとは、休みの日に父親に多摩川の河川敷とか連れて行ってもらったのは覚えています。
………………書いていて思うんですけど、マジで友達居なかったなぁ………
まぁいいや。
雨の日は、豪雨でも子供用のマウンテンバイクで近所を駆け回っていました。
水溜りに突っ込んだり、代々木公園の土のところをグチャグチャになりながら走っていましたね。
当時ラリーが好きだったのもあるのかもしれません。ゲームはV-RALLYが好きでした。
ドロドロになりながらダートの中颯爽と走り抜けていくスポーツカーってカッコいいですよね。
↑こんなイメージ。
子供の頃は、なんで小学生用の自転車ってマウンテンバイクばっかなんだろうと思っていたのですが、今考えると「丈夫だから」っていうのが一番大きな理由な気がします。
確かに、こんな自転車で木の根っこを飛び越えようとして木に激突したり、階段降りたり、多摩川渡ろうとしたり、いろいろしてたなぁと。
それでも最後まで壊れずに最終的にヤフオクでドナドナされていった記憶があります。
次の子供もそういう乗り方をするのかわかりませんが、まだまだ走るのでしょう。
もう一つの理由は、マウンテンバイクブームが少し前にあったんですね。
お父さん達が子供が生まれる少し前に楽しんでいたマウンテンバイク。
昔はSHOGUN、SCHWINN、MARINE、SCOTT、Cannondaleなどなど。
そんな背景もあったのかなぁと思ったり。
そんな小学生時代でした。
小学5年生からは中学受験の為に塾ばっかでしたから。
私は早稲田アカデミーというところに通ってました。
↑田園都市線で渋谷から2駅。三軒茶屋にある早稲田アカデミー。
まだあるのかな?
当時私を馬鹿にしてたクソ野郎共。
中学受験失敗してやんの。ホントにスカッとジャパンの一瞬だった。
もう勉強しかやる事がなくなった私はシャーペン集めをしていました。
流行ったものといえば、やはりドクターグリップとアルファゲルでしょう。
個人的にはドクターグリップが一番書きやすいと思います。
結構太くて持ちやすいんですよ。ペン回ししやすいし。
↑これこれ、ドクターグリップ。みんなドグリとかドクグリって読んでた。
まだ会社で使ってますよ。現役。同期に「うわぁ懐かしい〜」って言われました。
全国で流行ってたんですか?これ。
上のカバーと下のグリップの部分を別けることができて、その片割れを友達と交換してたりしてた人がいました。
女の子とかに多かったかな。
私は誰とも交換しませんでしたけど。
もともと、上がシルバーで、下がクリアブルーの既にカスタムされてるぽいの買ったからいいもん!
当時名前入れサービスっていうのやってもらったんですよ。
いやまぁ、下半分のグリップの部分にただテプラを貼ってもらうだけという陳腐なサービスだったんです。まぁそれでも嬉しかったですけど。
アルファゲルはブニブニであんまり好きじゃなかったですね。
↑この初期のやつ。
デザインもちょっとダサい。あとは、ゲルの部分が柔らかすぎてムニムニ揉んでると破けた。
後に出たアルファゲル×クルトガはグリップの持ち味も硬めになり、自然な感じに。
クルトガエンジンも相まって非常に使いやすかった。これも実は高校の頃から現役。流石にグリップのところの変色と変な油が出てきてヤバかったので一度買い替えましたけど。
↑これはシャーペン界の最高傑作だと思う。
そんなこんなで、そこそこ有名な私立の中高一貫校に入学できた私でした。
中学生の頃の話はまた別にしようかと思います。
今回はこのくらいにしておきます。